
座談会や支部総会で歌わされた学会歌は戦時中の日本そのものであった。
「威風堂々」や「紅の歌」といった学会員なら誰もが知っている物から「創価班歌」「牙城会歌」「今日も元気で」などの人材グループの歌まで多岐にわたる楽曲の数々が存在する。
それらの楽曲の歌詞は非常に野蛮で攻撃的な物が多く、中でも「威風堂々」の「北川南河は邪宗の都」だの「行く手を阻むは何奴なるぞ」といった学会以外の存在に対して排他的である。
また、学会歌と言えば「非常に奇妙な指揮の執り方」が有名であり、本記事ではそれについて述べたいと思う。
★学会歌の指揮
扇子を片手に持ち、剣を振るかのごとく何度も斜めに振り下ろし、もう片方の手を腰に当てた状態で足を開いて立つという奇妙な動作が特徴的であった。
まるで、ジュリアナ東京のお立ち台のようである(下の画像参照)。

★何のためにするのか?
学会歌の指揮は、なぜしなければならないのか?
幹部曰く、あの動作は「魔を斬る」ことを意味するらしい。
これは自分の弱い心や信心の邪魔をする物を寄せつけない、ということである。
指揮を執る者(大抵は幹部だが、希望者がやらせてもらえたり、いきなり指名されて「やれ」と言われることがある)が壇上に上がり、会合参加者が手拍子をしながら歌うというスタンスなのだが、これが異様な光景であった。
あんなものは誰がどう見ても危ない集団だ。
ただでさえ、攻撃的な歌詞と相まって激しい指揮が会員の闘争心を掻き立て、池田のために戦う、という「狂戦士」を誕生させるのだ。
あれはオ〇ムの信者が駅前で踊っていたのと同じことをしているのだ。
★終わりに
DQNと脳筋ばかりの宗教が狂戦士化などとんでもなく怖ろしい話である。
昔から宗教が軍隊を編成すると、ろくなことにならなかったが、学会もそれに近いものがある。
その異常さは筆舌に尽くしがたく、黄巾党や十字軍もびっくりするであろう。
本記事が「学会歌の指揮」をやらされて嫌だった人の溜飲を下げるのに少しでも貢献することができれば幸いに思う。
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