
学会をやめられないのは煙草と酒をやめられないのに酷似している(↑この画像の禁煙パイポのCMみたいに思い切ってやめなければならない)。
アルコールに依存性があるように活動も組織に対する依存性を生み出す。
本記事は学会活動をやめられない理由の説明及び脱会の呼びかけを行うものである。
★理由①人間関係が気になる
今まで親しかった会員に嫌われるのではないかという迷いが脱会を思いとどまらせている。
道で知り合いの会員とすれ違った時に反逆者呼ばわりされるのが怖いのだ。
特に婦人部は場所を考えずに感情的になって大声を出すため、恥ずかしくてたまらない。
公共の場で退転者などと言われた日には顔から火が出る思いがするであろう。
その気持ちは理解できるが、よく考えねばならないことがある。
学会に所属しているかぎり、あの地獄のような選挙活動や会合の参加人数の競い合いから逃れられないことを考えただろうか?ということである。
毎日、活動で酷使されているのに功徳らしいものは全く出てこないことを少しも疑問に思わなかったのだろうか?
嫌なことが多すぎるのを死ぬまで我慢する気なのか?
これらのことを考えると、脱会しないのがおかしい。
★理由②馴れ合い集団に未練がある
活動の仲間は学会に所属しているから仲良くしてくれるだけであり、脱会したいという意思を見せた瞬間、豹変する。
そんな人間は本当の仲間ではなく、ただの馴れ合いにすぎない。
思い切って縁を切り、脱会するのが得策だ。
幹部に搾取される生活を変えるためには人間関係など気にしていてはならないのだ。

★理由③幹部または職員だから
既得権益を手放したくないからやめられないというのなら人間の屑決定である。
信心で心を磨いている者が目先の欲に溺れてどうするというのだ。
会員の財務で生活するのは会社で働くより楽である(活動は誰でもできる簡単な物だから)。
気楽でちやほやされる立場を捨てたくないという陳腐な自尊心に価値はない。
こういう人間には何を言っても無駄である。
仏罰でひどい目に遭わないと己の過ちが理解できないだろう。
無間地獄に堕ちてから会員を酷使したことを悔やんでも後の祭りなのだ。
★理由④学会以外に居場所がない
会社で怒られてばかりで立場がなく、家庭でも気まずい思いをしている者にとって学会活動は現実逃避の場となっている。
数少ない自分を認めてくれる場だからだ。
そのため、やめるという選択肢はなく、役職を与えられて偉くなったと錯覚し、目下の者に威張り散らすのである。
自分が本当は弱い人間であることから目を背け、何の力も持たない人を攻撃するとは信仰者の風上にも置けない。
威張ることのできる場所を手放したくないという幼稚な思考がしがらみになっているのだ。

★理由⑤本気で学会活動に生きがいを感じている
幼少の頃から学会が正しい宗教と教え込まれた者は忠誠心が篤く、学会に都合の悪いことは聞こうとしない。
こういう者はよほどのことがないかぎり脱会しないだろう(幹部の不正行為を目撃した時くらいだと思われる)。
このタイプの会員は搾取という言葉すら知らないレベルの無知無学な愚か者が多い。
盲信や罵詈活はこの手の者ばかりである。
思考が停止しているから活動をやめられないのだ。
★脱会の呼びかけ
学会活動は百害あって一利なしである。
骨折り損のくたびれ儲けとは学会活動のことだ。
プライベートの時間を犠牲にして取り組む価値はゼロなのだ。
姿を見せない池田のために活動する必要はない。
弱体化した学会が滅びるのは時間の問題であり、今の青年部の世代が高齢者になる頃には若い人材がいなくなっているであろう(少子化の影響は勿論だが、男子部が結婚できそうにない奴ばかりで子供がいないため)。
籍を置き続けてもろくなことがないのだ。
仏法と関係ないものに功徳はない
選挙活動ばかりで仏法の信仰らしいことをしていないのに、即身成仏できるはずがない。
日蓮大聖人の仏法を信仰する者ならば「大聖人が政治に口を出せ」とは言っていないことを知っているはずであり、その時点で学会は邪教確定である。
そんなものを信仰することは謗法であり、無間地獄に堕ちる因を積むことになる。
来世が三悪道ということにならないようにするためにも脱会すべきだ。
阿呆の仲間はやめるべき
学会員は頭が悪く、貧乏であるため、関わると同類になってしまう。
富裕層の人が書いた本に馬鹿と貧乏は相手にするな、と書かれているが、まさに学会員のことである。
こんな奴等の仲間からは脱出すべきだ。
★終わりに
細かいことは言わない。
今すぐ、脱会あるのみだ!!
閑話休題。学会歌に関する記事はこちらをクリック。