池田大作がもらった名誉教授の称号は全然大したことがない 邪宗の国から物をもらうのは謗法だ

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ひと昔前の聖教新聞には、池田が外国の要人と対談する様子や名誉教授の称号を授与される記事が毎日のように掲載されていた。

学会員はこれを見る度に「先生は凄い」などと言っており、俺も活動家だった頃にそう思っていた。

ところが――――。

本記事は池田の受賞が全然凄くないことを述べたものである。

★受賞は謗法

仏法の視点から見ると、全く大したことがない。

それどころか、罪障を積み、無間地獄に堕ちる行為なのだ。

というのは、キリスト教の国に賞をもらっているのが邪宗から供養を受け取ったことになり、謗法に該当するからである。

学会員はこのことに全く気付いていないのだ。

★御書で破折

愚人に褒められたるは第一の恥なりと御書に書かれており、謗法の国から賞をもらって讃えられたところで「愚人に褒められた」だけにすぎない。

この御書の意味は「謗法の者に絶賛されることは仏法者として情けない」というもので、邪教と同レベルになってしまうのである。

罵詈活どもは御書を読まないため、こういうことを知らないのだ。

★終わりに

要人に会いに行ったものの、ろくに折伏もせず、表彰の手間をかけさせている。

しかも、その行為が邪教からの供養に該当するとあっては許しがたい話である。

罵詈活どもは「平和のための対話」とほざくのであろうが、そうであるならば破折して入会させ、対談相手の国ごと仲間に引き込むはずではないか。

むしろ、相手の方から「入会したい」と言い出すのではないのか。

これに対して、「入会する・しないの次元の話ではない」という奴は真正の愚か者である。

会員には「折伏しろ」と言っておきながら、自分はそれをしないというふざけた話だからだ。

池田は折伏をしないのではなく、できないのだ。

愚かな罵詈活どもよ、この記事に対して何か言うことがあるか!?

貴様等の財務はこういうことに使われている。

奴が名誉教授になっても会員の生活には何の影響もない。

それを考えると、馬鹿馬鹿しいということにそろそろ気付いたらどうだ!?

閑話休題。池田のファシズムの怖ろしさを語る。詳しくはこちらをクリック。