
創価学会は人間主義を掲げ、世界の平和を提唱しているが、本当に実現する気があるのだろうか?
聖教新聞や創価新報でしきりに核廃絶を訴えるものの、それが実現される気配はない。
また、ひとりひとりを大事にするという意味の「人間主義」を主張するのなら、何故、幹部が会員を怒鳴りつけて従わせるのか?
本記事は創価学会が人間主義を語ったファシズムであることを言及するものである。
★ただのパフォーマンス
池田大作は「仏法は人間主義」と言い切っている。
いかにも仏の教えを説くことで人を救うかのような言葉だが、実態はこの思想に反しており、異議を唱える者を「仏敵」だの「反逆者」だのと呼び、聖教新聞をはじめとするあらゆる機関誌を使った人格否定や会員に対する攻撃命令で徹底的に排除しようとするのである。
これでは独裁国家そのものであり、脱会者を野たれ死ぬまで責め抜けなどという残虐性に満ちた指導は、まさにファシズムではないか。
また、学会は池田に対する忠誠心を強要し、「先生のために戦う」という意識を植え付けている。
この洗脳行為により、池田が仏という認識が生まれ、「良いことは学会と池田のおかげ」「悪いことは魔の仕業」というご都合主義発言をする愚かな会員が増え続けるのである。
★政権に対する執着心
公明党の連立政権入りが決まったころから、国民にとって嫌なことだらけの政治が始まったのは誰もが知っているとおりである。
これは学会員にとっても地獄であり、選挙活動が苛酷になる要因であった。
政権与党から引きずり降ろされることは、権力の中枢から離れてしまうことを意味するため、選挙に負けることが許されない。
そのため、毎日、夜遅くまで会合が行われ、会員を組織に縛りつけることによって得票数減少を食い止めるという暴挙が繰り広げられている。
こうして、活動のこと以外考えられないように仕向け、集票マシーン大量生産を実施するのである。
公明党が選挙に強いのはこのような裏事情によるものなのだ。

★外部情報遮断
学会は会員に対し、「ネットは嘘ばかりだから見るな」「週刊誌は悪書なので、読むな」という指導をしている。
これは会員が組織に不都合な真実を知ることができないようにするための画策で、賢くなったことによって幹部の命令を聞かなくなるのが怖いのである(会員が馬鹿でなければ困るくせに本を読め、と言っている)。
人間革命をはじめとする学会関係の出版物の購読命令も情報統制及び洗脳教育の一環で、信心離れを起こさせないようにするための謀略なのだ。
情報化社会でネットを見る権利を取り上げることのどこに人を大事にする要素があるというのだろうか?
★終わりに
創価学会には奴等の言う人間主義など欠片もなく、あるのは権威に対する欲だけだ。
池田のために活動してもいいことは皆無であり、酷使されて体調を崩すだけなのだ。
大日本帝国の頃の日本を垣間見るのが池田教であり、日蓮大聖人の精神は微塵も見られない。
池田は董卓の現代版である。
贅沢で肥え太っているところがそっくりではないか。
だが、奴の栄光も長くはない。
Xデーが訪れるのは、それほど先の話ではあるまい。
我々はその時を待っていればいい。
地獄から解放された、と喜ぶ時はすぐそこまで来ているのだ。