
座談会で民音のチケットを買ってほしい、と言われるが、あれは全く欲しいとは思わない物ばかりである。
無名のアーティストのライブや高齢者向けの演劇ばかりなので、つまらなかったら金を損する羽目に陥る。
それに毎日会合ばかりで見に行く暇などあるはずがない。
こういうところが学会の無能且つ「そこまでして金が欲しいか」と言いたくなる点である。
正直な話、買っている人を見たことがない。
チケット販売の際には、たまに大物の名が出てくることがあり、俺は市川猿之助のスーパー歌舞伎と大帝の剣(夢枕獏の同名の小説の映画版)の時に買った。
猿之助は感動したが、大帝の剣映画ヴァージョンは邦画にありがちな「いまいち作品」だった。
民音の観客は高齢者が大半を占めており、全員が学会員である。
そこにいるということは会合に出席していないということであり、活動をさぼるのに民音を利用できるのだ。
つまり、チケット代さえ惜しまなければ「買うだけ買って見に行かずに、自分の行きたい所に遊びに行ける」という会合さぼり作戦が実行できるのだ。
ただ、惜しいことに「活動から逃れるために、学会が販売している物を利用する」という裏技的な手法が存在することに気付いたのが、この記事を書いている今だったため、活動家時代に思いつかなかったのが非常に残念である。
この作戦はいくらか金がかかるものの、自由を手にすることを考えればチケット代など安い物にすぎない。
毎日の会合地獄から解放されるためにさぼりまくり、自由をエンジョイするのだ!!
閑話休題。学会は会合が多すぎる。詳しくは↓こちらをクリック。