
馬鹿の相手ほど疲れるものはない。
学会員ほど愚かで関わると疲れる奴等はいない。
本記事は学会員が馬鹿の巣窟であることを述べたものである。
★学会員は無学で無教養
学会員は教学力が低く、法論らしきものが全くできない奴ばかりである。
これは学会員の基礎学力の低さによるもので、奴等は仏法の知識どころか一般教養もない奴ばかりである。
特に男子部と婦人部はまともな教育を受けていない奴の巣窟であり、法論をはじめとするあらゆる話し合いの際に感情的になって喚き散らし、人の話を全く聞かない傾向性がある。
奴等は教学だけでなく、学問全般が苦手で、御書はおろか一般の書籍すら読む習慣がない。
その程度の生き物なので、語彙が少なく、知識も乏しい。
知識と教養がないが故に野生の動物のように感情と本能だけで生きているのだ。
★奴等に仏法の理解は不可能
教学を学ばない奴が仏法を正しく理解することはない。
それどころか、使命を果たすこともできないであろう。
そんなことでは成仏などできるはずがない。
学んで実践する仏法から「学び」の要素を省いて実践は不可能である。
理論を理解しない者が行動を起こすことほど愚かなことはないのだ。

★問いかけに答える能力がない
上記で述べたことの存在により、学会員と法論を行っても意地を張って「学会は正しい」だの「先生は絶対」だのとしか言わないため、会話が成立しないのである。
こちらが教学で話し、相手の言い分に対して「御書のどこに書いてあるのか?」という問いかけをするものの、奴等の口から返ってくる言葉は「先生は正しい」のみである。
ここまでくると、同じ日本人とは思えないくらい会話が嚙み合わない。
まるで、宇宙人と話しているようで、頭が痛くなる。
日本語の通じない日本人とは実に不思議である。
★終わりに
DQN多数の創価学会員との会話は疲れるだけで得られる物が何もない。
ただ、時間だけが過ぎ去っていくのみである。
Xデーが到来した時に、あの馬鹿どもは何と言うのだろうか?
その時には学会が会員に知られないようにしていたことも明るみに出ていると思われる。
それでも学会を正当化するだろうか?
「そんなものは嘘だ!!」と言って絶対に認めようとする姿が目に浮かぶのだ。
罵詈活どもは学会以外に居場所がないため、必死になって否定するであろう。
それが間違いだと分かっていても、奴等にできるのはその一点のみなのだから。
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