
そもそも、なぜ創価学会は破門されたのだろうか?
学会はそのことを絶対に知られたくないので、日蓮正宗が悪いとまくし立てている。
これは学会によるでまかせもいいところで、真の悪は池田大作である。
本記事では学会破門の真相が正本堂の解体によるものであることを述べようと思う。
目次
★なぜ破門されたのか?
正本堂完成の年にあたる昭和47年4月28日に日達上人が次のように言われた。
「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり、すなわち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」との訓諭(くんゆ=日蓮正宗における公式決定)を発せられ、「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」
この言葉に対し、不満を抱いたのが池田大作である。
正本堂がただちに本門戒壇建立とならないため、完成後も、日達上人及び日蓮正宗に強い圧力をかけたが、ついに日達上人の決定を覆すことはできなかったのだ。
以来、創価学会は事あるごとに「正本堂建立をもって広宣流布は明確に終わった」「正本堂は本門戒壇である」等と蔭で言い続けていたが、平成3年、ついに日蓮正宗から破門となった。
このように池田が正本堂にこだわり続け、日蓮正宗を悪党呼ばわりしたことが破門の原因なのである。

★池田本仏論
昭和42年10月の建立発願式のことであった。
池田大作は「詮ずる所、正本堂の完成をもって、三大秘法ここに成就し」などと言っていたものの、北條浩(理事長兼副会長・当時)が「すでに大聖人御在世中慧たる本門の題目、定たる本門の本尊は建立された。そして、ただ戒たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残された。(中略)ここに正本堂の建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法上重要な意義を考え」云々(『大白蓮華』昭和四十五年五月)と述べている。
この意味は、「大聖人は、御在世中に本門の本尊と本門の題目は顕わされたが、本門の戒壇だけは顕されなかった。それを、七百年後の今日、池田大作率いる創価学会が出現して広宣流布を成し遂げ、本門の戒壇を建立する。これによって三大秘法が完結するのだ」というものである。
奴等が言いたいことは「大聖人ですら顕わすことのできなかった本門の戒壇を、池田センセーが建立される。したがって、池田先生は大聖人よりも勝れる仏である」との「池田大作本仏論」だ。
この発言は当時の学会指導として、口コミで広く流されていた。
また、今日の学会の公の主張にも、こうした邪説が露骨に顕われている。
要するに池田創価学会にとって、正本堂=本門戒壇の建立は、「池田大作が大聖人をも凌ぐ仏である」という池田本仏論の現証として「重要な意義」をもっていたのであり、これこそ、彼らが正本堂に異常に執着した、その最大の理由だったのだ。

★正本堂解体の理由
広宣流布は創価学会の邪教化によって遠のいてしまった。
正本堂は建立された意義を失い、「池田本仏論」という前代未聞の大謗法の依り処として創価学会に利用され続けている。
これを重く見た第67世・日顕上人は「清浄であるべき総本山の境内地に残しておくことはできない」と判断し、解体を決断された。
創価学会は「耐用年数1000年といわれた、今世紀最大の宗教建築『正本堂』を、建立からわずか26年にして無惨にも壊した」 と言っている。
そもそも、正本堂は未曾有の広布進展の最中、御遺命の戒壇となる願望を込めて、本門戒壇の大御本尊を厳護申し上げるために建立されたのであり、「今世紀最大の宗教建築」などという顕示欲のために造られた建物ではない。
しかし、その広布進展の象徴でもあった正本堂は、発願主・池田大作と創価学会の数々の謗法、そして破門によって、その存在意義を失った。
建立の発願から破門に至るまでの池田の正本堂と戒壇義に対する発言を振り返った時、それこそが池田の慢心を増長させ、人心を惑わす堂宇であり、大御本尊を厳護するにふさわしくない、汚れたものであることがはっきりしたのである。
ゆえに日顕上人は、平成10年4月、第一の目的である大御本尊御遷座を敢行なされ、その後、謗法建築物となった正本堂を解体された。
これらのことから正本堂解体は、日蓮大聖人の仏法を清浄に厳護するためであり、創価学会の「今世紀最大の宗教建築を無惨にも壊した」などという、意味不明な寝言は仏法の道理を無視した的はずれの非難にすぎないのだ。

★内部が劣化しまくっていた
建立当時の関係者が以下のような発言をしている。
それらを箇条書きにしたので、目を通してほしい。
・柱や壁等を見ると、赤茶色に変色している部分がかなりあるため、内部で相当鉄骨の錆びが進んでおり、コンクリートも酸化しているな、と思ったとのこと。
・解体に着手するための事前調査として、正本堂の前に立っていた円融閣の大円柱、を叩き、表面の大理石のタイルを剥がしたところ、中から赤茶色の水がドッと溢れ出てきた。
・地下室の扉を開けたところ、なんと赤茶けた水が2メートルほども溜まっていた。
「こりゃ、舟がいるな」と話し合ったくらいだったという。
また、他の部屋にはイタチなどが住み着いていたためか、動物の糞が大量に堆積していた。
・もともと正本堂の敷地には潤井川が流れており、湿気が多かった。
そのため、僧侶方の通路に敷かれている絨毯なども、湿気でかびて使い物にならなくなったということとだった。
実際に絨毯はどこもかしこも黴だらけ。
その絨毯をはがしたところ、床にはいくつも亀裂がはいっており、すでにそうとう、湿気等によるコンクリートの劣化、破壊が進んでいた。
・同様に屋根の劣化も進んでおり、随所で雨漏りが発生。雨水が大量にコンクリート内部に浸みこんでいた。
巨大で重い屋根を、劣化した鉄骨とコンクリートで支えていることに無理があった。
もし、この建物をそのまま使い続けるとしたら、年間10億円以上のメンテナンス費用が必要になったと思われる。
そうしたメンテナンスを加えていても、少なくとも10年に1回は、さらに本格的な補修工事が必要になったかもとのことだ。
・建築関係者が「創価学会は1000年あるいは10000年はもつと主張されているようですが、とてもとても。30年でぼろぼろですから、100年、いや50年もてばいいほうでしょう。それも先ほど申し上げたように、本格的な補修工事を何度も行なった上でです。大御本尊を安置していた須弥壇の基礎を調べるために、記念品を埋納してあるという部屋にも入りました。入る前、この部屋はコンクリートで密閉していると、説明を聞いていましたが、実際に行ってみると密閉しておらず簡単に開きました。しかも内部の壁は錆(さび)が浮いて真っ赤になっていました。」と言っていた。

★破門後も異常な執着
創価学会は破門されて日蓮正宗大石寺と無関係になった後も、なお、「正本堂は本門戒壇である。これを建立した池田先生は、仏法上、未曽有の大偉業を成し遂げたのである」等と言い続けていた。
この現実(すなわち正本堂が池田本仏論の依り処として利用され続けていること)に鑑み、日蓮正宗では、「ここで池田本仏論という前代未聞の大謗法の根を断ち切るべきであり、また、そのような建物を、清浄であるべき総本山の境内地に残しておくことはできない」との判断から、正本堂の解体を決断したのだ。
当然、解体には費用もかかる。
しかし、「正しい仏法を清浄に護る」という務めは金額の問題ではない。
また、民衆の真心からの御供養を、池田本仏論などという大謗法のために利用した、池田大作の所業こそが無間地獄で裁かれるべきである。

★終わりに
正本堂は池田の見栄のためのものにすぎなかった。
維持費で会員の生活が圧迫されてしまうことを考えると、あんなものは解体してよかったのだ。
それを恨む学会員どもは真実を知らない寝ぼけた奴等である。
罵詈活よ、貴様等はこれでも壊したとほざくか。
この記事を読んで目を覚ますのだ!!
