
創価学会男子部の罵詈活どもの威勢がいいのは青年部の時だけである。
奴等は人事発表の時に卒業が決まると、それ以降は姿を見せなくなり、やがて、存在自体が忘れ去られていく。
「あんなに戦っていたのに・・・」と不思議がられるわけだが、それには訳があるのだ。
本記事では、その「訳」について述べていく所存だ。
目次
★謎の答え
いきなり、結論だが、どうしていいか分からなくなり、活動する気力がなくなるから姿を見かけなくなるのだ。
壮年部は自分で考えて行動しなければならないので、男子部みたいに何もかも組織が教えてくれるわけではない。
その件について以下で述べていく。
★一人で何もできない
男子部員は常に団体行動を強いられており、会合が毎日行われるため、自分の意志で行動する能力が成長していないのである。
幹部に言われなければ行動できない奴や言われても何もできない奴の巣窟で、自らの頭で考えることを放棄してしまっている。
この件に関しても掘り下げるので、次のトピックで解説を行う(ちなみに活動から離れた奴等が↓この画像のようになる)。

★面倒を見てもらうのが当たり前
男子部員は人当たりが良く、面倒見がいいことからやたらと人の世話やきたがる。
これが頼ってばかりいる奴を増やし、前述の言われなければ分からない奴の集団になった原因である。
幹部と会員の関係が「ドラえもんとのび太」になってしまっているのだ。
★昭和の人間が多い
男子部員は昭和の時代にありがちな「義理と人情」を大事にする生き方を好む傾向にある。
これが困っている者を助けずにはいられないお人好しをつくり、そいつらに面倒を見てもらってばかりいる奴が何もできない人間になるのが、壮年部になってから自分で考えることのできない人間になってしまう理由なのだ。
★終わりに
男子部員は精神年齢が低いが、何もかも世話をしてもらっていてはそうなって当然である。
ただでさえ、低学歴で頭の悪い奴等が自分の意志と信条を持っていないなど「大きな子供」そのものではないか。
馬鹿を増やす原因をつくった創価学会の罪は重いのだ。
