
今年(令和3年12月24日現在)もクリスマスがやってきた。
巷では一大イベントの日として親しまれているが、仏法の観点で考えると謗法である。
そうであるにもかかわらず、これを容認し、「社会的なイベントだから」と開き直っている巨大宗教団体がある。
創価学会だ。
本記事では創価学会がクリスマスを認めることが無間地獄に堕ちる要因となることを述べたいと思う。
目次
★地獄行きの因を積む
学会は日蓮大聖人の説いた「謗法厳戒」を破り、罪障をたっぷり積んだ邪教と成り果てた。
当然、キリスト教のイベントであるクリスマスは謗法であり、日蓮大聖人の意志に背いた大謗法行為にあてはまっている。
したがって、イベントだからといって浮かれていると、無間地獄に堕ちる因を積むことになり、来世は三悪道決定となってしまう。
それでも「ぼっちでクリスマスを過ごすのは嫌だ。池田先生は駄目だとは言ってない」という奴は即身成仏を諦めたも同然であり、自分から地獄行きを選んだことになる(そもそも、学会の男子部には一緒に過ごせる彼女というものがいないのだが・・・)。
学会がクリスマスを容認するのは、会員が組織から離れるのを怖れているからにすぎない。
脱会した者が日蓮正宗に帰伏してしまうのが怖いがために容認しているだけなのだ。

★幹部の都合で仕方なく容認
脱会者の人数分だけ公明党の得票数が減り、職業幹部の飯の種も減っていくのが幹部にとって死活問題であり、それを防ぐために仕方なく認めているだけということに気付く学会員が誰一人として存在しないのもおかしな話である。
無論、気付いたら自分の居場所がなくなるわけだが、それにしても頭の中身がおめでたすぎる。
法華経以外は地獄に堕ちることを知っていながら容認するのは二枚舌もいいところで、あまりにも都合がよすぎるのではないか。
学会員は教学力が低すぎるので、こういうことを疑問に思わないのだ。
★罪障を積んではならない
今日と明日は謗法の日である。
世間一般のイベント騒ぎに乗せられて業を積むなどということがあってはならない。
仏法を学ぶ者がクリスマスなど言語道断だ。
それを分かろうとしない学会員は頭破作七分しているにちがいない。
★終わりに
ケーキ、チキン、プレゼント、ツリー等の楽しみを満喫したい気持ちは分かるが、目先の快楽のために地獄行きを選択するのは愚かな行為だ。
また、こういう時に子供にプレゼントを買ってやりたいのが親の心というものだが、即身成仏のためにも欲に負けてはならない。
無間地獄で長い間苦しむことの恐怖から逃れるためにも、謗法に手を染めてはならないのだ。